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週刊広告論

第44回 「鴎」 

ツーカー/2002年7月23日 朝日新聞朝刊5面


 日本の広告は難解だといわれることがある。難解というよりきっと複雑なのだろう。カンヌなど海外の広告賞に日本の広告がほとんど選ばれないのも、同じ理由に違いない。この複雑さを支えているのはアニメや漫画などと同じ、コンテクストを理解しないと面白さがわかりにくいという文脈多層性である。では、そのオタクぶりが独自性として認められたジャパニメーションのように日本の広告文化も世界的にブレイクする可能性があるのだろうか。もちろんことはそう単純ではない。
 今回取り上げるのは携帯電話メーカー、なかでももっとも普及していない「ツーカー」の新聞広告だ。しかしこの広告に携帯電話は登場しない。青いバックにカモメが2羽、空を飛んでいるだけである。キャッチコピーもかなり異様である。「クルマは燃費、ケータイは電費、カモメはカモメ。」ビジュアルを見て、キャッチを読んで、それでもなんの広告かわからないのだから普通ではない。読み解くと、燃費のいいクルマは良いクルマである→では、ケータイも通話コスト(電費)が安い方がよいのではないか→電費のいいケータイはツーカーである→ツーカーがよいのはカモメがカモメであるがごとく自明だろう。という意味なのだがこれはかなり複雑である。果たしてこの複雑なコミュニケーションがツーカーの地位をどれだけ向上させるのだろう。
 こうなったら消去法で考えるしかない。安さにしかメリットがないのだから、ツーカーのポジションは家電のアイワ並みに厳しい。そんななか、新聞の15段で大声を上げて安さを言っても、きっとそのイメージは損なわれる一方だろう。ツーカーの安さをいうより、世の中の携帯電話代の高さを糾弾するべきではないか。というよりそれしかツーカーの取るべき道は残されていないではないか。そんな思惑で「ケータイ代、このままでイインカイ委員会。」というコンセプトが生まれる。糾弾することに意味があるのだから、自分の名前は小さくても良い。理不尽な高さに同感してもらえれば、自動的に安いツーカーは売れるだろうからだ。よって自社商品の写真も出さない戦略でいく。しかしそれでうまくいくものだろうか?
 ケータイ代が高いのはイヤだろうけれど、ツーカーを使うのはもっとイヤだと人は思うかもしれない。ケータイ代が高くてツーカーは安いというのは全く意外ではなく、ある程度世の中に共有された知識なので、この広告のメッセージは回りくどい割に発見がないともいえる。何よりこの広告の、特にボディコピーの面白さは、安さという理屈だけでは動きにくい若い世代にしか通じないのではないかという懸念もある。もちろん翻訳不可能なこの広告に国際的な価値もない。では意味のない広告だとこれを捨ててしまうべきなのだろうか。実は全く逆ではないかと思う。
 この広告の複雑さ、内向性こそが広告史を支えていると僕は思う。広告史などどうでもいいが、こんな自棄になったようなアプローチを目の当たりにすると、なぜかこれこそが今の時代の広告だという漠然とした確信を抱かずにはいられない。力無くシニカルに打ち消していくことにすら疲れている「カモメはカモメ」という中途半端な抜け具合こそが、デフレな21世紀にふさわしい、今の気分だと思えるのである。
ツーカー