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  週 刊 広 告 論  

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週刊広告論

第30回 「幸」 

千趣会/2001年12月2日 朝日新聞朝刊10面


 2001年12月2日の各新聞紙面は言葉にしにくい広告たちで埋め尽くされた。その前日、雅子様が出産されたため、かねてから準備されていた「お祝い」広告が一斉に出稿されたのである。広告を出稿するのは企業の勝手だからわたしたちは黙って見過ごせばそれでいいのだが、やっかいなのは、どこかしら気持ち悪さや胡散臭さを感じてしまうこの広告たちに対して目を伏せてしまうのも、何かその気分に加担してしまったようでやるせないという点なのである。このよく分からない脱力感はいったい何なのだろう。それは政治的な問題なのか、道徳的な問題なのか。いややはり、技術的な問題なのである。
 今回取り上げるのは通販の大手である千趣会の15段である。紙面のほとんどは女性が赤子を抱く写真で占められていて、その上には、「皇太子様、雅子様。新宮様ご誕生お慶び申し上げます。」と書かれている。そして写真の中程には、「私の幸せは、誰かのしあわせ。」というフレーズが置かれ、誰かを幸せにするには自分のしあわせが大事だといったメッセージが続けられる。さらに右下の企業ロゴの上には、小さく「あなたの幸せと、つながっていたい。」ととどめが刺される。とにかく紙面全体から立ち上るのは、見逃してくれ、そっとしておいてくれという、悲鳴にも似たオーラなのである。いったいその原因はなんなのだろう。
 メッセージ自体に大した新しさも意味もないのはおそらく作り手にとって自覚的なのであろう。こうした条件が限定されたがんじがらめの広告なのだから、そこは見逃してあげるのが筋かもしれない。この広告はその意味でスプラッターや昼メロといったジャンルものと同種なのである。そこでメッセージの意味を問うことはナンセンスなのだ。ここで制作者の手腕が問われるのは、雅子様のご出産と千趣会の企業姿勢を結びつける言葉を開発するという、一点なのである。そしてそれが「幸せ」の一語であった。
 雅子様ご出産という慶事なのだから、それは世の中にとってハッピーなことだろう。そして「幸せ」が結ぶコミュニケーションみたいなことが言えれば、それを応援する千趣会という企業広告が成立するのではないか。それがこの悪条件下で広告を成立させるぎりぎりの一点だろう。そういう思考でこの広告はできている。しかしこの広告が最終的に不幸なのは、どうにかたどり着いた岸が「幸せ」の一語であったことだろう。三洋電機が「HAPPY?」をスローガンとしたように、幸せは現代では決して実感することができない、抽象的な語なのである。それはもはや自問しても虚しいだけの、マジックタームなのだ。そうした、時代とまったくそぐわないワードを臍にせざるを得ない広告のフレーム自体に罪があるとも言えるが、「幸せ」のテクニカルな価値について、思考を止めてしまい、無自覚に言葉の一般的な意味に頼った制作者の技術をやはりここでは責めるべきだろう。
 余談だが、この1ヶ月、僕はこの広告にひどく同情的だった。ジャンルものに甘いという性格もあるが、条件のきつさがよく分かっていたからだ。しかしその気分を吹き飛ばしたのが、今年1月3日の宝島の15段である。これについてはあらためて取り上げる予定なのだが、早くも今年1、2を争うであろう広告がでたことに驚きながら、予定調和となれ合う事を戒める力を、広告自体がまだ持っていたことに少し安心したのである。
千趣会