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週刊広告論

第52回 「ネスカフェ」 

003年~ CF


 広告がもし面白いものだとするならば、それは「いかがわしさ」に依っている。そのいかがわしさは最初、顕在的なものだった。筒井康隆の処女長篇である「48億の妄想」(65)の時代には広告は畏怖の対象であったし、広告が人を洗脳するとある程度信じられてもいたのである。しかしいつのまにか広告は、その胡散臭いサブリミナルなパワーを失ってしまったようである。今回紹介するネスカフェの広告など、まさにいかがわしさの対極にあるものだろう。しかし、はたしてそうだろうか。
 今年の夏あたりからネスカフェは「静かな」CMを展開している。〈夏の香り〉というキャッチコピーで展開されたアイス・ネスカフェのシリーズでは、言葉を使わず、夏のイメージと効果音だけでアイスコーヒーのシズルを作り出していた。そして今回の〈おはよう。ネスカフェ〉60秒CMでは、ただただ続く空の映像に乗って谷川俊太郎の「朝のリレー」という詩が朗読される。経度から経度へ、わたしたちが朝をつないでいく、というメッセージが最後の湯気を立てるコーヒーカップの映像に結実するとき、誰もが何ともさわやかな感動をおぼえずにはいられないだろう。黒い、小さなシミのような疑念が、しかしそこでよぎらないか?
 コーヒーが好きな人は、この世に無数にいるだろう。しかし、なかでもネスカフェが好きだという人はいない。そんなことをいえば悪い冗談だと思われるのが関の山だ。しかしこの美しいCMをもし、キーコーヒーやUCCといった、レギュラーコーヒーを売り物にする他のコーヒーメーカーがオンエアしていたら、おそらくこの感動は半減していただろう。ネスカフェというブランドが持つ、ユニバーサル感とでもいうべき力が「地球の朝をつなぐ」というコンセプトにはどうしても必要なのである。しかしながら、わたしたちがこのCMに感動し、「おはよう。ネスカフェ」と誘われて欲望するコーヒーとは、いったいどういうコーヒーなのか。
 ネスカフェの戦略が特殊であることは、類する他のジャンル商品と比べればわかる。たとえばインスタントコーヒーよりさらに抽象度の高い缶コーヒーは逆に豆へのこだわりや製法の特殊性を謳う。実はこれが可能なのは、レトルトカレーと同じく、缶コーヒーがもはやコーヒーとの競合商品ではなく、オリジナルな食品ジャンルとして定着しているからだ。缶コーヒーのうまさは、どこまでいっても缶コーヒーの味を越えることはない。その自明が逆説的に商品のうまさを競わせているのである。また、飲めば飲むほどのどが渇く、欲望生産飲料として孤高の地位にあるコカコーラは、唯一の近代的な意味での価値であった「うまさ」まで放棄したダイエット・コークを開発することで、虚数商品ともいうべき異様な展開を見せたが、コカコーラの限界は味覚のダイコトミーにどうしても囚われてしまうことにあった。まずいコーラはどうしても売れにくいのである。
 ここまで読めばおわかりのように、ネスカフェのCMが生み出すのは、どこまで行ってもイメージそのものであり、文学的な美しさである。特に今回のCMは「モーニングコーヒー」という文学イデオロギーを極限まで推し進めた感がある。こうした広告では最後のコーヒーが出てくるシーンで任意の味を想像させることがマイナスですらあろう。味覚の記憶を喪失させ、ナンセンスな記号としての「coffee」に寄り添うこと。それこそが、ネスカフェのかつてない戦略なのである。ところであなたには、今、ネスカフェの味と香りが思い出せるだろうか?