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週刊広告論

第56回 「キリン・ラガービール」 

CF


 1987年。このサイトの読者は澁澤龍彦が亡くなった年といえば思い出しやすいかもしれない。ビールの世界、あるいは広告界ではこの年は歴史の転換点として位置づけられている。アサヒ・スーパードライが発売されたためだ。若い方はご存じではないだろうが、87年以前、ビールはキリンのものだった。最高で63.8%のシェアを持っていたといい、ビール会社は国内で4社だからまさに寡占状態であった。それがドライ戦争といわれるスーパードライの席巻でキリンはあっという間にトップの座をアサヒに奪われてしまう。当時は一過性のブームといわれていたが、以後現在まで、そのマーケット状況は変わらないままである。結果的には商品(味)が良かったから、という勝因につきるのだが、当時は(※今も)そうは思われていなかった。麦の苦みを排したドライの製法を当時大変な部数を売っていたグルメ漫画「美味しんぼ」は『これはビールではない』と作中人物に名指しで批判させたし、競合メーカーも「わたしはドライではありません」といった日本では珍しい比較広告をだしたりした。ところが売れ行きはまったく衰える気配を見せず、翌88年には4社すべてがドライビールを出すという状況となる。それはまさに完全敗北の印であった。そうしたなかで、広告の世界も別の過酷な現実を突きつけられることになる。
 アサヒ・スーパードライのCMは当時から今までそのテイストにおいて一貫している。エグゼクティブ・サラリーマンが船上で、パーティーで、アウトドアで飲む、飲む、飲む。
 スピード感あふれる音楽に「ビール売り上げNo.1」といった宣伝文句が被せられる。このCMが売り上げをさらに助長し、成功したのは事実だが、その理由は内容というより出稿量にあった。他のビール会社がいくつかの商品に分けて出稿していた広告総額をドライ1本に投下したのである。CMの好感度もそこそこあったといい、このころから好感度と出稿量がある程度等比になるという深刻な既成事実に広告界は気づくことになる。そして他社の対抗戦略はふたつあった。それはドライより遙かに緻密なターゲット/マーケット戦略とクオリティ。そして生まれたひとつのキーワードが「本物」であった。
 キリン・ラガー、サントリー・モルツ、サッポロ・エビス。それらが「ビールを知る人に」や「素材」「歴史」という本物志向を揃って打ち出し、広告賞をいくつも取った名うてのCMプランナー、コピーライターが爽やかな、あるいは感動的なCMをいくつも作り続けた。今回取り上げるキリン・ラガーの最新CMはこうしたビールCM業界のコンテクストを引き継ぎ、またその集大成にも見える。
「初めて飲んだビールは、キリン・ラガーだった。いまでもそのラベルで憶えている。それから、さまざまなビールに会った。日本製のものも、外国製のものもあった。しかし、いつの頃からかキリン・ラガーが私のビールになった。今私は友人を待っている。時々道を見ている。タクシーが坂をあがってくる。さっきラガーを冷蔵庫に入れた。人は、人を思う。キリン・ラガービール」というのがそのナレーション。優しく、切ない感じがする一方、なにか諦念のようなものが混じっている。ついでにサントリー・モルツの最新CMも確認して欲しい。「あなたのビールは天然水でつくられていますか?」という品質訴求CMだが、魚の跳ねるような缶の動きが(特にロングショット)見事なCM作品である。それにしても、こうした物量vsクオリティの対立が15年以上も続くと、そして「質」の結果的な敗北がかくも長く続くとさすがに不気味な気持ちになる。古くは角川映画や最近のハリーポッターのような通俗ムーブメントとは違う、同じ武器を使ったイメージ戦争になぜかくも長期間クオリティは勝ち抜けないのか。もしかしたら質の高低といった物差しそのものが、根本的にCMの世界では間違っているのではないかとすら思う。