
第26回 「裂」
全家連ほか/2001年10月7日 朝日新聞朝刊4面
ある言葉が世界から失われる瞬間を目撃するというのはかなり貴重な体験だろう。しかもそれが、「精神分裂病」という名なのだから、ただごとではない。いったい、どうしてそんなことになってしまったのだろう。
今回取り上げるのは、精神障害者を持つ家族による連合会と日本精神神経学会による一風変わった募集広告である。メインビジュアルは一本の草花。花びらの半分がむしられたように散っている。そして神経繊維のようにささくれた小枝。キャッチコピーは『誰の「精神」も「分裂」してはいないから。』それを受けて『「精神分裂病」にかわる新しい名前をいっしょに考えてください。』というコピーが写真下に置かれている。つまり、精神分裂病という名であるがために、それが、精神が分裂してしまう異常な病だと思われているというのだ。その偏見を取り除くために、名前を変えてしまおうというのが主旨なのである。
この広告が異常なのは、ネーミング募集告知であるにもかかわらず、当選者に何の報償もないこと。そして、ネーミングを審査するのが学会であるということ。つまり素人が気軽に投稿できるたぐいのネーミングではないのである。さらに無報酬となれば、いったい応募者は何をモチベーションにするのか。
それでも応募者は一定数いるのだろう。この公募は無報酬ではあるが、逆にお金を払わずに気軽に善意を表明できる機会でもあるからだ。しかも専門的なネーミングであるためか、ここではあらかじめ候補名が用意されている。3択のように選ぶことも、オリジナルをこしらえることも自由なのである。ちなみにその候補名とは、「スキゾフレニア」「クリペリン・ブロイラー症候群」「統合失調症」の3つ。2つめは憶えられないから、まずないだろう。そして1と3は併用できそう。となると精神分裂症を引き継ぐ名は統合失調症にあらかじめ決まっているようなものではないか。分裂でなくて統合失調。言い訳のように聞こえるところが日本的なネーミングである。そしていきなり名前が変わったと、結果だけを告げるよりも、公募により選ばれた名称ですとした方が受け入れられやすいだろうという、共同体的な意識が生んだ広告でもある。
こうした動きに賛否を述べる気持ちはないが、現代思想や精神分析の世界で特権的な位置を占めるこの病が、名前が変わることでその通念が問われるようであれば、それはそれでいいことだとも思う。精神分裂病という名称の文学性に惹かれて、その喪失に少し気持ちが裂かれなくもないが、それもまあたいしたことではない。
